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高塚不動産鑑定士事務所

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2月2022

最近読んだ本

まん延防止等重点措置長いですね。多くの人がそうであるように、私も読書についやす時間が長くなりました。そんな中amazonで購入したのが竹村公太郎著「地形と気象で解く 日本の都市誕生の謎」です。この本の中で、家康はなぜ静岡市に隠居したのかとの項目で静岡市が取り上げられています。要約すれば、静岡市の地形は三方を山に囲まれ一方は海という天然の要塞で、万が一の時はここで西国の大名を迎え撃つためということです。内容的にはこの要塞都市としての解説に力点が置かれたお堅い内容になっており、それ以外にもあるのになあと思いました。そこで家康公が静岡市に造った癒やしの施設を紹介しましょう。それは「遊郭」です。現在静岡県地震防災センターになっている場所に「遊郭」があったのです。家康公が勢力を拡大し駿府城主となったとき、京都伏見の7町の遊郭を駿府に移設したのです。その後家康公が秀吉の命令で江戸に移転するとき、7町のうち5町を江戸に連れて行きました。この5町が後の「吉原」のルーツとなります。駿府では残った2町を「二丁町遊郭」と呼び、なんと昭和32年まで存続していました。ちなみに私の事務所の近所の高齢者達はこの「遊郭」のことを覚えていて、昔は「遊郭」周りは質屋街で、質屋で遊ぶ金を手にした男達目当ての、通称「立ちんぼ」と呼ばれる非公認の女性達がうろちょろし、子供の頃「新通から向こうに子供は行ってはいけない。」と言われていたそうです。なお駒形角鮨、こいな鮨、新通り松乃寿司などこの付近に寿司屋が多いのは、コンビニなど無かった時代に「遊郭」から出前の需要があったからです。今じゃ立派な公共施設が建っていて、そんな歴史があるなんて思いもしませんよね。静岡県地震防災センターの横の小さな神社に石碑と解説の案内板が出ています。埋もれた歴史っておもしろいですね。

沼津にて

                                                仕事で沼津に行き、空き時間に市街地を散策。沼津が城下町で、江戸時代には城があったことを知らない人も多いでしょう。明治になってここまで完璧に跡形も無く破壊された城も珍しいと言われています。かつての本丸付近は石碑とちょっとした看板がある単なる広場で、建物は公衆便所があるのみです。以前、沼津市文化財課のかたと話したとき「この城が残っていれば街の姿は全然違うものになっていただろう。」と言っていました。寂しい限りです。沼津はほかにもやらかしており、なんと東海道新幹線を造るとき新幹線駅反対運動が起きたんですよ。信じられん。それで駅は三島になりました。新幹線の駅があれば街の姿は全然違うものになっていたはず。そしてつい最近まで鉄道高架、貨物駅設置で揉めてましたね。浜松なんか私鉄の遠鉄さえ高架駅なのに、なぜこんなことで長年揉めていたのか。いつのまにか沼津の最高地の地価はどんどん下落し290,000円/㎡に、三島の最高地の地価はぐんぐん上昇して316,000円/㎡になりました。昔は沼津のほうが高かったのに逆転ですよ。最高地の地価水準はその街のポテンシャルを表しますから沼津は衰退傾向、三島が発展傾向なのは誰の目にも明らか。自分の街を衰退させる民意っていったいなんなんだ?、城なんかすべて壊せ、新幹線駅なんかいらない、鉄道はこのまんまでいい、という民意。ほかの人は誰もおかしいな変だなと思わなかったのかねぇ。幸い鉄道高架は動き出しますから、沼津駅とその周辺がもっと便利になるといいですが、沼津城に新幹線沼津駅もあったら良かったのに。沼津って本当にもったいない都市ですね。

 

1月は繁忙期

昨年末にホームページを開設しましたが、その後まったく投稿してなくて。理由は地価公示と国税評価の作業に追われていたからです。地価公示とは、毎年3月に発表される、すべての土地評価の中心的存在ともいうべき価格です。まずこれを作製して1月14日提出。次に国税評価とは、毎年6月に国税庁が発表する相続税路線価の元になる価格の査定です。これが昨日完成しました。これ以外にもあれこれやることがありまして年明けはずっとバタバタでした。まあ毎年そうなんですけど。2月から心機一転、これからマメに投稿していきたいと思っています。よろしくお願いします。