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高塚不動産鑑定士事務所

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最近読んだ本

まん延防止等重点措置長いですね。多くの人がそうであるように、私も読書についやす時間が長くなりました。そんな中amazonで購入したのが竹村公太郎著「地形と気象で解く 日本の都市誕生の謎」です。この本の中で、家康はなぜ静岡市に隠居したのかとの項目で静岡市が取り上げられています。要約すれば、静岡市の地形は三方を山に囲まれ一方は海という天然の要塞で、万が一の時はここで西国の大名を迎え撃つためということです。内容的にはこの要塞都市としての解説に力点が置かれたお堅い内容になっており、それ以外にもあるのになあと思いました。そこで家康公が静岡市に造った癒やしの施設を紹介しましょう。それは「遊郭」です。現在静岡県地震防災センターになっている場所に「遊郭」があったのです。家康公が勢力を拡大し駿府城主となったとき、京都伏見の7町の遊郭を駿府に移設したのです。その後家康公が秀吉の命令で江戸に移転するとき、7町のうち5町を江戸に連れて行きました。この5町が後の「吉原」のルーツとなります。駿府では残った2町を「二丁町遊郭」と呼び、なんと昭和32年まで存続していました。ちなみに私の事務所の近所の高齢者達はこの「遊郭」のことを覚えていて、昔は「遊郭」周りは質屋街で、質屋で遊ぶ金を手にした男達目当ての、通称「立ちんぼ」と呼ばれる非公認の女性達がうろちょろし、子供の頃「新通から向こうに子供は行ってはいけない。」と言われていたそうです。なお駒形角鮨、こいな鮨、新通り松乃寿司などこの付近に寿司屋が多いのは、コンビニなど無かった時代に「遊郭」から出前の需要があったからです。今じゃ立派な公共施設が建っていて、そんな歴史があるなんて思いもしませんよね。静岡県地震防災センターの横の小さな神社に石碑と解説の案内板が出ています。埋もれた歴史っておもしろいですね。